2040年、240校の大学が消えゆく未来
2040年には全国約800校の大学のうち240校分が余剰になるという記事について。
子どもが消える(1) 2040年、余る大学「240校」:日本経済新聞 https://www.nikkei.com/article/DGKKZO72001740Z10C23A6MM8000/
親の気持ちと先進国のジレンマ
先進国はどこもそうであるが、国の成熟に連れて高学歴が推奨されて大卒者が増え学歴を持たない者が減っていく。結果として、社会が求める人材の需給とはアンマッチを迎えてしまう。
親の気持ちは、子供を大学に行かせたい。安定した企業で働かせたい。そう願うのは当然だが、大卒者ばかりが世の中の仕事ではないのだから難しい。
学歴とキャリアの柔軟性
必ず大学に行かせないと不幸になる_という社会自体が、どうなのだろう。大卒者にしかキャリアを与えないとか、キャリア組と現場社員を新卒から一線を引いて全て決めてしまう企業側に原因の一端があるのかもしれない。
ダイバーシティの時代だからこそ、あらゆる履歴書の人間がいていいし、画一的な経歴でしか人を評価しないと有望な芽も埋もれてしまうかもしれない。
出生率を阻む大学の壁
そういう背景があって大卒者を強いる日本が作られてきてしまって、大学受験という経済ハードルが子育てに大きな壁に成り上がった。
本当に必要かわからない大卒資格のために、親世代は出産を諦めたり、子供は奨学金という名の借金を抱えて社会人デビューすることで、結婚への足かせになってきているのは悲しいことだ。
全員が本当に大学に行くべきなのか?
大学に行けないやつは「人生終わってる」のか?、いやそんなはずないし、そうあってはいけない。
中卒で板前修行したり、高卒で美容師を目指す夢のある若者がもっと認められる、そんな社会であってほしい。
人材の評価はお金ではないけどお金だ!
個人的には、理念としては職業の価値はじゃないと思う。でも、人口減少はお金と切り離せない。
プロ野球選手の活躍が年俸で評価されるように、前述の飲食業界の板前さんや美容師さんたちが相応しい給与であるならば、日本の人口統計はもう少し明るいはず。
自由な資本主義の中で、こうした学歴でない人たちが認められて正しい富の分配を受けるにはどうすれば良いのか。
わたしのない頭では答えが無いが、変えられるものは何だろうか。
探求はつづく…。